『天体のメソッド』11話メモ
いずれまとまった文章は書くつもりですが、ひとつの「物語」が終わったということでまずはメモ。まさか残り2話を残してノエルが「消える」とは……。
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ノエルとはなんだったのか。
その答えは他ならぬ彼女自身がこう発している。
「ノエルは円盤だから」
円盤とは「風景」に差し挟まれた異物である。
誰もがそれを目に留めながら、しかしアニメの始まった時点では単なる観光名所として受け入れられているもの。
そこに積極的な意味を読みとるのは、呼び寄せた張本人であるところの五人の子供たちのみである。
だから円盤はまず第一に、五人の主要登場人物と、その他のモブキャラクターを切り分ける装置として機能している。
円盤が見えなくなると、ノエルの具合は悪くなる、という設定にも表れている通り、それは「霧弥湖町」を周囲の空間から切り離すものでもある。
「円盤を呼ぶ」という行為によって『天体のメソッド』というお話は始まっているのだから、円盤とはこの作品を視覚表現として成立させるための「マッチポンプ」なのだ、といえるのかもしれない。
彼らはあくまで「円盤」を呼んだ。
ノエル、などというものは呼んでいないのである。
なぜ円盤はノエルを必要としたのだろうか?
逆に、ノエルによって可能となっていることとはなんだろうか?
それは言葉の媒介である。
ノエルは七年の時を経て心理的にも、物理的にも離れてしまった五人の間をせわしく動きまわる。
彼女は不思議な力をつかうこともない。
ただ誰かの思いを(あるいはそれが込められた何かしらの物を)他の誰かのもとに運ぶ、それだけである。
お互いに口にすることはなかった、五人の「願い」は11話で明らかになるが、細かな違いはあるものの大筋においては共通していて、「みんなでずっと仲良くいられますように」くらいのものだった。
だからその「願い」は、ある意味ではノエルという存在がいなくても、すでに成就していたともいえる。単に時間や物理的な距離が、それを妨げていただけなのだから。
しかし、五人は口をそろえる。
「ノエルが私たちの願いをかなえてくれた」
途切れてしまった過去と現在。物理的にも、心理的にも離れてしまった七年間。
ノエルの媒介する言葉によって、彼らは途切れた連続性を取り戻す。
言葉によって記憶に新たな切り口を加える。現在においてその意味を読み換える。
それはまさしく「物語り」だろう。
「物語り」をおこなったのは彼ら自身だけれど、ノエルがいなければ途切れた過去と現在をつなぐ「物語り」は紡ぎきれなかった(と、彼らは感じる)。
言葉にしなければわからないこともある、という当たり前のことに、ノエルは気づかせてくれたのだ。
これこそが「ノエルが私たちの願いをかなえてくれた」ということの正体である。
ノエルとは、途切れた過去と現在とをつなぐ言葉、『天体のメソッド』という物語そのものであったといえる。
(思い出してほしい、11話をかけてこの作品がなしてきたことといえば、ただ辛抱づよく言葉を交わし続けることだけだった)
ノエルが消えるとき、言葉で埋めるべき空白は、もうどこにも残っていない。
円盤が消え去ったあとに広がるのは、現実の場所にモチーフを借りた、画面の外にいる私たちにすらなじみのある「風景」だけだ。
五人を特別な「登場人物」たらしめるものは、もはや何もない。
……あと2話を残して、いったい何を語るというのだろう?