qiree's weblog

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「カゲロウプロジェクト」について~終わらない悲劇から抜け出すために~

2014年は「カゲプロ」こと「カゲロウプロジェクト」が、来る。

先ごろ4月からのアニメ化(『メカクシティアクターズ』)も発表されたし、中高生を中心とした熱狂を見せているこのムーブメントがより広い層にリーチしていく年となるだろう。

カゲプロについては語りたいことがいくらでもあるのだが(Key/麻枝准をはじめとするノベルゲーム文化との関係や、「ロキノン系」からの音楽的な影響、音楽の消費形態の変化という観点など)、新年一発目のエントリーとして、カゲプロの持つ文学的な側面、物語としての核心に触れておこうと思う。

カゲプロは背後に大きな物語の存在を匂わせつつ、楽曲単位で断片的に出来事を見せていくというスタイルを取っているのだが、これが基本的には「ループもの」的な世界観であることが示唆されている。(Wikipediaによればシリーズ中でもキーとなる一曲のタイトル「カゲロウデイズ」という語自体が、ループ現象のスタート地点を指すものであるらしい)

「ループもの」ということは必然的にパラレルワールド的な世界観を呼び込むのであり、ハッピーエンドを目指してバッドエンドを何度も繰り返す、といった「リトライ」の感覚が、カゲプロの「読書体験」の根底にある。

カゲプロは「プロジェクト」の名が示す通りメディアミックス展開がなされているコンテンツでもあり、二枚のフルアルバムによって提示された「楽曲ルート」、作曲者のじん氏本人による「小説ルート」「漫画ルート」などが存在するとのこと。中でも「楽曲ルート」はじん氏によって、バッドエンドであることが示唆されている。


(↑「カゲロウデイズ」のPV。<バッと通ったトラックが君を轢きずって鳴き叫ぶ><落下してきた鉄柱が君を貫いて突き刺さる>など、わかりやすくバッドエンドを示唆する歌詞が耳に残る)

カゲプロはまず何よりも音楽作品として提示されたのであり、音楽である以上その世界観に魅せられたリスナーは何度もループ再生を行うことになる。しかしそこに記された結末は悲劇的なものだ。断片的な歌詞から「いったい、なぜ悲劇が起きてしまったのか?」を推理することはできても、悲劇そのものを食い止めることはできない。

Wikipediaやpixiv百科事典、ニコニコ大百科などの項を見ても物語の明確な出口は未だどの媒体にも示されていないことがわかる(「~と思われる」「~という可能性がある」という末尾の多いこと多いこと!)。現段階では「考察」し続ければし続けるほど、リスナーは終わらない悲劇の内側に閉じ込められてしまう。

リスナーがこの「終わらない悲劇」から抜け出すための方法は、現状ではたったひとつだ。それは今すぐカゲプロ関連の楽曲を聴くのを止めることである。

思えばこれは随分と皮肉な話である。基本的にミュージシャンというのは(とりわけ音楽=録音芸術という図式ができて以降の、ということだが)、自身の楽曲が繰り返し聴かれることを喜びとするはずだ。しかしカゲプロの場合は、歌詞内容のレベルで「ループもの」であることとリスナーの「ループ再生」という視聴体験がシンクロしてしまっているがゆえに、その欲望が過剰に増幅されてしまっている。

だがネット上に散見されるじん氏のインタビューを読むと、彼が非常にリスナー目線で作品を作り続けている人物だということがわかる。同シリーズが「ループもの」の形式をとることが、リスナーを「終わらない悲劇」の内側に閉じ込めようとする悪意の発露であるとは、僕にはどうしても思えないのだ。

カゲプロの物語はよく「中二病」的だと言われる。個人的には好かない表現ではあるが、「ずっとこのままでいたい」という停滞的な心性に対する否定的なニュアンスが込められているのだろうとは思う。

しかし「今すぐ聴くことを止める」ことが唯一の脱出法なのだとしたら、カゲロウプロジェクトはむしろ「中二病」的な心性に対する、きわめて批評的な作品であるともいえるのだ。物語のレベルでは「中二病」的な世界観をしっかりと描き、「ループ再生(を停止する)」というリスナーの視聴体験のレベルで、物語の出口を用意する。
プロジェクト全体のテーマソングとされている「チルドレンレコード」では<少年少女前を向け>とはっきり歌われていることも、思い出してみていいだろう。

映画史研究者であり、ミステリ評論の分野でも活躍する渡邉大輔氏はTwitter

と発言している。140字のコミュニケーションが幅を利かせ、線形的なテキストが読まれづらくなっている現在において、文学=物語的なものの後継を「ボカロの小説化=物語化」の中に見ようとする氏の姿勢に、僕は大きく共感する。

アニメの放送開始まであと3ヶ月。「カゲプロ」語りはネット上でもどんどん増えていくことが予想されるが、これからも自分にしか持てない視点を持って(カゲプロは「目=視点」をめぐる物語でもある)、この作品の魅力、可能性を解きほぐしていきたいと思う。